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MFA

小川 隆

 SFマガジンの特集「ケリー・リンク以降――不思議を描く作家たち」(2016年10月号)でも取りあげたけれど、ジャンル越境的な小説が氾濫している。英米だけの傾向ではなく、日本でもそうだし、イスラエル、インド、メキシコなどの新しい作家を見ても、その傾向が顕著に思える。ここではそうしたジャンルの枠におさまりきらない小説を、境界作品として、しばらく集中的にご紹介するつもりだ。
 とはいっても、専門はアメリカなので、そこでの事情をさまざまな面から考えてみたい。まず気づくのは、SFと文学以上に境界がまぎらわしくなっているのがミステリ、サスペンスと文学だということ。これは何も最近はじまったことではない。ハメット、チャンドラー、あるいはルカレにまでさかのぼらなくとも、80年代にはかなり多くの分類しがたい文学的ミステリ、文学的スリラーというものが書かれていた。ただ、その流れがこの十年ほどで猛烈に加速しているような気がする。とくに新人作家にそうした傾向が強く表れている。そこでいま注目されているのが、MFA出身作家の存在だ。
 MFAというのは芸術修士(Master of Fine Arts)という学位で、平たくいえば、文学修士ということだ。アメリカの大学院にはもっぱら創作を教えるコースがあって、アーヴィングが出た伝統校アイオワ州立大学が有名だが、60年代の大学改革以後、それ以外の大学でもかなり力を入れて作家を養成するコースをもうけてきた。ただ、そこから商業的に成功を収める作家が出ることはあまりなく、大学出版局を中心に研究論文のように短篇集を発表しては、そうした作家が今度は創作講座で小説を教えるという、閉ざされた生態系を形作ってきたのがこれまでの大きな流れだった。これが文学は売れないという?常識?とあいまって、知的エリートのための?文学?という、いわゆる文学のジャンル化に貢献してきた観はいなめない。
 ところが、近年、そこに大きな変化が生まれている。MFAから直接大手出版社でデビューする作家が増えているのだ。もちろん、オーソドックスなリアリズム小説が中心だし、新人らしく短篇集も多いのだが、なかでも出版界以外からも注目を集めるようになったのがミステリ仕立ての長篇が書かれ、それなりにヒット作も生まれていることだ。いまアメリカでベストセラーになっているエマ・クライン(Emma Cline)のThe Girlsもそんな作品だ。中流階級の退屈している女の子が街で見かけたヒッピーの同年代の女の子にひかれて、その仲間になるものの、彼らはチャールズ・マンスンのグループで、やがて惨劇が起こり……という話だが、版元のランダム・ハウスでは文学というよりサイコスリラーとしてプロモートしている。2年前の契約時にはまだ25歳だった著者は、コロンビア大でMFAを取得したばかりの新人だったが、版元では早々に映画化も決め、大宣伝をして、ブロックバスターにすることに成功した。決め手となったのは、題材になっている事件より、たいした動機もなく罪をおかしてしまう、人間心理の闇を描く、いまはやりのノワールと共通する感覚だったのだろう。新人作家も臆することなくこうしたセンセーショナルな事件をデビュー作の題材に選んでいる。そういえば、タイトルにgirlを使うのも、ギリアン・フリンの『ゴーン・ガール』以来の流行だ。いろいろな意味でコマーシャルな要素を多くもった作品だったのは間違いない。

 大学で教える文学の中身が変化しているのか、文学を専攻する学生が変わってきたのか、いずれにせよ、文学がコマーシャリズムを排した特別なものであることより、もっと違う何かを目指しはじめているような気がする。
 そして、ここでも気づくのが、そうした新人たちの文学に、SF的設定を用いたり、いわゆるストレンジ・フィクションと呼ばれるようなシュールで不思議な物語を紡ぐものが増えていることだ。SF的設定ということだけなら、若い世代の時代感覚と冒険精神ということでわかるのだけれど、およそコマーシャルな要素のない、シュールへの傾倒ぶりはおもしろいと思う。
 もちろん、書き手の世代交代ということだけが原因ではないだろう。大学自体が変化している側面も大きい。学生にとっても社会にとっても魅力的なコースにすべく、各大学がMFAのプログラムに力を入れだしたこと、教材にも伝統的な文学だけではなく、アトウッドやギブスン、ケリー・リンクらの作品が用いられるようになっていることも要因だ。だが、何より、SF作家自身がそうした大学に就職していることがいちばんの原因ではないだろうか。かつてはSF作家も雑誌、新聞などのメディアに書評その他雑文を書いて生活を支えられる環境が存在した。だが、いまはわずかの主要新聞をのぞき、新聞から書評欄は姿を消しつつあり、雑誌自体もマスで売れるものは小説をとりあげなくなり、マス・マガジン自体が衰退してきている。映画やテレビの脚本もいまでは脚本学校を出た専門家に独占されている。小説だけで食べていくことがむずかしい作家にとって、大学で教職を得るということが人生設計の中心になっているのである。だが、そうした作家も生活のためだけに教えているわけではない。SF的な物語の楽しさ、すばらしさを、SFにさほど接したことのない学生に伝えるのに、境界作品こそがもっとも身近でふさわしい教材なのだ。
 というわけで、ここではいま個人的にももっともトレンディなものに思える境界作品が生まれてくる背景と、実際の作品を少し継続的にご紹介していこうと思う。

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