ワールドSF特集
(2012年9月公開)
はじめに
小川隆
これまで十数回のワールドコンに参加し、パネルディスカッションやパーティの席で日本のSFの話をしてきたけれど、いつもちょっときまりの悪い思いをしてきた。その理由は、
1) ぼくが読んでいた大半が英米の小説だったから。その半分はSF/ファンタシイで、残りの半分がアメリカ文学だ。つまり、日本の小説は読書量の4分の1でしかないというのに、その半分はスリップストリームのような幻想小説だ。日本SFと呼べるようなものは、残りの半分でしかない。つまり、読書量の16分の1ということだ。そのファンかといわれると微妙だ。本当に好きだったらもっと読んでいるはずだから。
2) 別の視点で語ってくれといわれることもあるから。外部の目でということだ。その他世界の、ということだ。たしかに、ぼく自身はずっと少数派でいることには慣れている。気になどならないはずだった。でも、落ち着かなかった。日本は「世界のSF界」とは別のところにあるってこと? 日本ってどうでもいい「その他大勢」なの? いわれてみれば、ぼくたちは神秘的な外国人扱いされるのにはもう慣れっこだ。なにしろ、「極東」にいるんだから。宗教だって神様は大勢いて、それを統一する中心的な教義も原理もない。話す言葉も変わってて、文字は三種類あるし、どの子音にも濡れ落ち葉みたいに母音がくっついてくる。きっと礼儀正しいエーリアンに見えてたっておかしくない。そう思うと困ってしまう。深遠な宇宙の哲理を語ってほしいのか、エキゾチックな物珍しさを求められているのか、わからないのだ。
3) 話してほしいという依頼が儀礼上の場合が多いから。本気で日本や日本の小説に興味があるわけではなく、向こうが知っているのはマンガとアニメ程度ということがほとんどだ。80年代には安部公房のことは知っているファンがいたかもしれない。最近では村上春樹を読んだとか、宮崎駿が好きという聴衆はいるけれど、やはりそこまでだ。マンガ系出版社がけっこうな数の日本の長編小説を翻訳出版しているというのに。
そもそも、ぼくは日本の小説を売りこみにいっていたわけじゃない。アメリカの小説の翻訳家だし、編集者だ。アメリカの小説を日本の読者に売りこむのが仕事だ。でも、この出版の一方通行の輸入超過にも違和感があった。 若いころ、ロック・バンドをやっていたことがある。聴いていたのはもっぱら英米のロックばかりだったから、英語で曲を作って、英米のロックが好きな人たちを相手に演奏していた。でも、評論家たちがそうした「英語版」日本のロックを批判しはじめた。日本人なのに英語で歌ってはいけないというのだ。いまとなってみれば、それはただの国粋主義的ないいがかりでしかないことがわかる。でも、当時はとまどった。アメリカの音楽を聴き、米軍放送にダイヤルを合わせ、アメリカ映画やテレビを見て、アメリカの小説を英語で読んではいても、話すのも考えるのも日本語でだし、友達もガールフレンドもみんな日本人だった。そうした曲は、ほとんど生まれてからずっと夢中になって聴いてきた音楽への返事のつもりだったし、大好きな音楽と気持ちをかよわせあえていた気がした。だから、おまえの場所だといわれている日本のロック界には違和感を覚えた。音楽の世界って国境に閉ざされた民族主義的なものじゃなければいけないんだろうか? それとも音楽こそ国際言語だといわれているように、グローバルなコミュニティとみなしていいんだろうか? いままたワールドコンで同じ問題が浮上してきた。SF界って本当にグローバルなコミュニティなんだろうか?
ところが、数年前エイペックスという出版社がラヴィ・ティドハー編のなんともすなおなタイトルのアンソロジーを出版した。The Apex Book of World SFだって。さほど期待したわけじゃないけれど、買ってみたのは、やっぱりSF界はグローバルなコミュニティだと思いたかったからだ。でも、たまげた。作品や編集にじゃない――もちろん、いいアンソロジーだったし、いくつか好きな短篇も入っていた――驚いたのはいくつかの短篇に翻訳のクレジットがなかったことだ。たしかに、翻訳じゃなかった。作家自身が英語で書いていたんだ! もちろん、カズオ・イシグロのように、移民の子孫ですばらしい英語で書く作家がいることは知っていた。でも、ここの作家たちは非英米圏に住んでいながら英語で書いている。ずっとむかし、ぼくが音楽でやろうとしていたこととそっくりに見えて、実際にこうした作家はグローバルな聴衆に向かって書いているんだ。すげえ! たちまちぼくは虜になった。
だから、このぼくたちのサイトで、本当の意味での〈ワールドSF〉の特集を組むことにした。自国の民族主義的なSFを世界の読者に紹介し、売りこむことだってちっとも悪いことじゃない。でも、グローバルなシーンが本当に生まれるには、本当のコミュニケーションが、ジョナサン・リーサムがいみじくもブライアン・イーノの言葉を借りて〈かけあい〉(call & response)と呼んでいる、交流が必要だ。部分部分を寄せ集めても全体が生きたものにならないように、各国のSFシーンを紹介するだけじゃSF界の一体感なんて出てくるわけがない。やりとりしなければいけないんだ。この特集はエイペックスとティドハーがそのアンソロジーで投げかけてきた問いかけへのぼくたちなりの返事だ。ティドハーとエイペックスはつい最近、そのアンソロジーの第2弾を刊行したばかりだ。こんな形で本当の〈ワールドSF〉というコミュニティが育っていけばいいなと思う。