スチームパンク紹介
2010/05/26
先月刊行されたSFマガジン6月号でスチームパンク特集を組みました。スチームパンクとは、もともと現代のハイテクノロジーが十九世紀の産業革命と同時進行していたという設定で、テクノロジーと社会のあり方を見直すSFの手法として、1980年代にちょっとしたブームを起こしたものですが、この十年ほどのあいだに、ゲームやコミック、映画やアート、さらにはファッションのほうにまで広がって、とくに英米で大きな社会現象としてマスコミでもしばしばとりあげられるようになった、いまや新たなサブカルチャーです。SFマガジンというジャンル誌ではふれるのを避けましたが、スチームパンク・ロマンス、スチームパンク・エロティカなども書かれていて、参加費250ドルもするコンヴェンションには数百人の熱心なファンがさまざまなコスチュームに身を包んでつめかけ、スチームパンク・バンドのコンサートや舞踏会を楽しむという、異様な盛りあがりを示しています。最近では、名称の由来にもかかわらず、蒸気機関よりぜんまい仕掛けやヘリウム利用の飛行船などのテクノロジーが偏愛され、映画『ライラの冒険 黄金の羅針盤』から『シャーロック・ホームズ』にいたるまで、ハリウッドでも大いにとりあげられているほどです。
では、SFマガジン収録作を各担当者からご紹介させてもらいます。
ジェフ・ヴァンダーミア「ハノーヴァーの修復」(石原未奈子)
6年前に流れ着いた島で、自分と同じ“漂着物”の修理をしながら暮らしている主人公。ある日、機械でできた人間らしきものが浜に打ち上げられ、そこから主人公の過去がよみがえってくる、というお話。解説で小川氏が書かれているように、日本のアニメを連想させるところが端々に見られる短篇です。そういう意味では、日本の読者にはとっつきやすいのかもしれません。現に、訳したわたしがそうでした。
原文は、過去を回想するシーン以外は現在形で書かれていて、リズミカルでありながら、どことなく不安定な印象、ざわざわする感じを受けます。訳出にあたっては、できるだけその印象を伝えられるよう心がけたつもりですが、いかがでしょうか。
ちなみにヴァンダーミアの過去のブログをのぞくと、第一稿と第二稿を読むことができます。これがなかなかおもしろいので、ご興味のある方は、ぜひ。
ジェイ・レイク「愚者の連鎖」(小川隆訳)
もし、地球の自転も公転も、宇宙のすべてが巨大なぜんまい仕掛けだったら、という設定の一連のシリーズからのスピンオフ。赤道には超エヴェレスト級のとんでもなく高い〈壁〉があり、そこに隠れた巨大歯車が天空の歯車と噛みあって、宇宙は運行されているのですが、その〈壁〉にはさらに仕掛けがあって、長い〈鎖〉が上の穴から下の穴へと伸び、下へと動いている、という奇妙奇天烈な設定です。タイトルはアリサ・フランクリンの1967年のグラミー賞ヒット曲と同じなので、歌い出しの“Five long years”を彷彿とさせるものの、中身はまったく関係ないので、気にしないでください。続篇“Chain to the Stars”は本サイトで訳出できたらと思っています。長篇もファーマー〈階層世界〉シリーズを思わせる冒険色も哲学色もたっぷりな三部作になっているので、ぜひ翻訳してみたいもの。レイクはかつてのジョージ・R・R・マーティンを彷彿とさせる(体型だけではなく)若手のまとめ役で、2007年の横浜でのワールドコンの際に来日しています。
シェリー・プリースト「タングルフット――ぜんまい仕掛けの世紀」
(小川隆訳)
足がもつれてよろよろ、という意味のタングルフットは、それほど強い酒という意味の俗語。禁酒法時代以前から、開拓時代のアメリカでは自家製の酒がさかんに造られていました。そういう時代を物語るタイトルなのですが、その時代もぼくたちの歴史とは違います。南北戦争がえんえんと続くなか、戦争と無関係にゴールドラッシュにわく西部、とりわけ大発展したシアトルでは、ロシアからの金鉱開発用掘削ロボット開発の依頼を受けた発明家がシアトル地下に眠っていた毒ガス(病原菌)を掘り当てたため、シアトルは死の町と化してしまいます。その死者はゾンビと化し……というのが長篇Boneshakerですが、収録作はそこからのスピンオフ。発明発見が時代精神となっている世界で、少年が作りだした自動人形が暴走する、ちょっとオカルトめいた話です。プリーストはゴシックめいたファンタシイを得意としてきた作家だけに、おもしろい短篇になっていると思います。
ジョージ・マン「砕けたティーカップ」(松井里弥訳)
ジョージ・マン作の短篇「砕けたティーカップ モーリス・ニューベリーの事件簿」は、長篇小説The Affinity Bridgeから始まるSFミステリ、〈ニューベリー&ホッブス〉シリーズのスピンオフです。舞台は二十世紀初頭のロンドン。ただし、現実とは微妙にずれていて、照明はいまだガス灯ながら、蒸気機関がものすごく発達して、地上では蒸気自動車がぶんぶん走っているし、上空では自動人形の操縦による飛行船がばんばん飛んでいるという世界。そういう〝架空のロンドン〟で、大英博物館に勤める学者にして、女王陛下直属の捜査官、モーリズ・ニューベリーと助手のヴェロニカ・ホッブスが、怪事件を解決していきます。こういう世界の設定がいわゆる〝スチームパンク〟とカテゴライズされる所以で、そこはやはり最大の魅力なんだけれども、それともうひとつ外せない点は、大筋が昔懐かしい探偵小説に倣って書かれているところでしょう。ジョージ・マンはこのシリーズで、アーサー・コナン・ドイルしかり、さらに遡ってエドガー・アラン・ポーしかりの探偵小説作法とオカルティズムをきっちりと継承しています。短篇では細かいところまで描写されていませんが、主役のニューベリーはアヘン中毒者で、オカルトマニア。それだけでも、シャーロック・ホームズを読んで育った者としてはわくわくしてしまいます。また、ヴェロニカ・ホッブス嬢は賢く美しい、うら若き女性で、本短篇では残念ながら名前しか登場しませんが、長篇のほうでは準主役として活躍。われながら単純で恐縮ですがが、この短篇を訳しているあいだは、エルヴィス・コステロの〝ヴェロニカ〟がずっと頭のなかで鳴っていました。できれば長篇の邦訳も世に出したいものです。
ネイダー・エルヘフナウ「もうひとつの十九世紀
――つきせぬスチームパンクの魅力」(小川隆訳)
いまは亡き《インターネット・レヴュー・オヴSF》からの評論です。スチームパンクをめぐってはさまざまな評論が書かれていますが、比較的要領よく適当な長さにまとまっているものを選びました。サブカル視点がもう少しあるとバランスがよいのですが、ジャンル雑誌であるSFマガジンへの掲載なので、よかったのではないでしょうか。著者は学者ですが、小説も書いている、まだこれからの気鋭の若手。参考文献は少し割愛しましたが、評論も楽しんでいただけたらと思います。
キャサリン・ケイシー「コルセット宣言」(黒沢由美訳)
コルセットなどのコスチュームの愛好は、フェミニズムとどのように共存可能なのか。〈スチームパンク・マガジン〉第六号に掲載されたキャサリン・ケイシーの小論です。コルセットというと、訳者にとっては子供のときに観た映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラの印象が強烈。「苦しそう!」と思いながらも、なんとなくあこがれを感じたものでした。しかし、大人はそれでは済まないらしい。コルセットが象徴する当時の女性観は無視できない。でも、それを承知のうえで愛好するのも、ひとつの自由だと考えたい。そんな葛藤が感じられる「コルセット宣言」です。
ブライアン・スラタリー「スチームパンクのサウンドトラックって何?」
(小川隆訳)
スラタリーをこんな形で紹介するのは不本意ですが、ノスタルジーとウィアードというスチームパンクの二面性というかヒドラ性を音楽からもとらえていておもしろいと思います。代表的スチームパンク・バンドとされるアブニー・パークのホームページがよくできているので、ぜひチェックしてみてください。ジュール・ヴェルヌから名前をとっているヴァーニアン・プロセスはここ。スラタリーはたぶん別の機会に紹介できると思いますが、すてきに不思議な長篇をこれまで二冊書いています。作家としてはミドルネームのFrancisをつけているので、検索にはお気をつけください。
ブックガイド
これまであまり注目されてこなかったサブジャンルだけに、YAファンタシイではいつのまにかこうした作品が大量に邦訳されています。へえ、こんなものまで、と思えるものも意図的に入れてみました。ただ、英米の多くのスチームパンク・ファンにとってはこうしたものすべてを含むというのがもはや主流。原理主義的に考えると、ギブスン&スターリングの『ディファレンス・エンジン』はスチームパンクかどうかという論争も起こってしまうので、むしろ時代の気分を採りいれて拡大しているサブカルチャーと考えてみましょう、というのがこのブックガイドの趣旨です。できれば、ゲーム、映画のリストも作ってみたかったのですが、個人的に守備範囲外なので断念しました。原スチームパンクというべきコナン・ドイル、ウェルズ、ヴェルヌなどが苦手な方でも、元祖スチームパンクといわれるジーター、ブレイロック、パワーズに違和感を抱いた方でも、これだけの幅があれば何かしら楽しめるものが見つかると思います。ただ、YAもののなかには明らかに『ハリー・ポッター』の二番煎じを狙った翻訳、造本になっているものがあって、残念。むしろ、『ハウルの動く城』の二番煎じを狙っていればうまくいったかもしれないかな、と思うのですが。
そんなわけで、内容もヴァラエティに富んだものですし、いま英米のみならず世界中で新たなサブカルチャーの地位に躍り出たスチームパンクに注目していただければ幸いです。(小川)