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アリエット・ドボダール
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アリエット・ドボダール

アンケート回答その1

(2012年9月公開)

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アンケート回答その2

(2012年10月公開)

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アンケート回答その3

(2012年11月公開)

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Q-1.
あなたのアイデンティティはどこの国/民族/文化にありますか?

A-1.

 それはちょっと複雑です。国籍はフランスですし、(イギリスに滞在した2年間を除いて)ずっとフランスに住んでいますが、英語を強く意識する家庭環境で育ちました。民族的にはフランス人とヴェトナム人のハーフで、幼少時からその両方の文化の影響を大きく受けています。

Q-2.
SF/ファンタシイ/ホラー/スリップストリームといったジャンルはずっと英米語に支配されてきました。あなたがもっとも影響を受けたのは英米のジャンル小説ですか?

 

A-2.

 幅広いところから少しずつ影響を受けていると思います。SFだけでなく、犯罪小説やふつうの小説もたくさん読みます。そうした分野でもやはり英米作品の割合は大きいものの、SFほどではありません。ジャンル作品でいえば、たしかに英米のものから受けた影響が大きく、それ以外となると昔の作品ですね(子供のころに読んだり話してもらったりした中国やヴェトナムのおとぎ話からはずいぶん影響を受けました)。

Q-3.
英米小説とご自国の、あるいは非英語小説との読書の割合を教えてください。現在のものでけっこうです。

 

A-3.

 何を“英米”と呼ぶかによります。英語の作品はたくさん読みますが、その多くはイギリスのものです。西洋英語圏(アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダなど)とそれ以外の作品の割合は7対3ぐらい、アメリカとアメリカ以外の割合は3対7ぐらいでしょう。

Q-4.
残念ながら多くのワールドなんとかは、じっさいにはアメリカのものです。野球のワールド・シリーズから、ぼくたちのジャンルのワールドコン(ぜんぶじゃないけれど)や世界幻想文学大賞にいたるまで。どうすれば、本来の枠組みにただせるでしょう、現実の無秩序な世界を反映するように?

 

A-4.

 いい解決策を知っていたらいいんですが――文芸界のアメリカ中心主義を脱するのは難しく、あまり考えずに手に入りやすいものばかり読み、さまざまな発信源の作品に目を向けずにいては状況はなかなか変わりません。わたしも以前はヒューゴー賞やワールドコンは本当に国際的な賞だと思い込んでいて、そうではないとわかったときは残念な気がしました。

 この偏りを正すには、西洋英語圏以外の作家のSF作品を広めるしかないと思います(アメリカ以外に、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなども含めて“西洋英語圏”とさせてください。アメリカ以外のこうした国々は、ジャンルにそれほど影響力がないかもしれませんが、アメリカ中心主義の恩恵を多少なりとも受けていますから)。かなり進歩してはいます。World SF blogの活動やハイカソルなどの出版社のおかげで、外国語作品の翻訳も増えました(とはいえ、まだまだ少ない!)。

 ただ、悲観的な気分のときは不安になってきます。ラヴィ・ティドハーは正しくて、西洋英語圏外の人々がWorld SF blogなどで交流できたとしても、ジャンルの主流の大半は西洋英語圏外の声に無関心なままなのではないかと心配になります。


Q-5.
たしかに、ぼくたちはアメリカのポップ・カルチャーの多大な影響を受けています。村上春樹もアメリカの小説やジャズの影響無しにはいまのような小説は書けませんでした。あなたの場合も同じでしょうか? そうした影響をまったく受けずに執筆することを想像できますか?

 

A-5.

 過去を書き換えるのは得意じゃないんですけど :) まじめに答えますと、そうした影響を受けずに執筆することなんて想像できません――たとえこれまでに読んだアメリカの本がなかったとしても、テレビで放送される映画、ラジオから流れる音楽など、そこらじゅうにアメリカのものがあふれています。アメリカの影響はすっかり浸透しているのですから、それがなかったとしたら、みんなまったく別の人間になっているでしょう!

Q-6.
最近では多くの若い作家や編集者が英語で仕事をし、アメリカのマーケットに向けて書いています。そんな仕事のしかたは邪道だと思いますか? それとも、影響の大きさを思えば当然のことだと思いますか?

 

A-6.

 こうした影響を考えればまさに当然でしょうし、わたしも主に西洋英語圏のマーケットを対象に英語で執筆しているのですから、悪いことだとはまったく思いません! ただ、そうした流れになってしまうのはやはり遺憾であり、西洋英語圏側の人々の大半がこの状況にいまだに無頓着で、自分たちの有利な立場を自覚していないのも残念です。たとえば、西洋英語圏の多くの作家は、自分の作品が外国語に翻訳されるのは当たり前と考えています(それどころか翻訳権が売れなければ文句を言います!)。フランス語の作家の場合、作品がいろいろな言語に翻訳されて世界中で読まれることなどめったにないのです。西洋英語圏の作家とそれ以外の作家のあいだには依然として大きな差があります。ちょっと悲しいですね。


Q-7.
もし英語で書くことになった場合、それは英米の読者に向けた仕事ですか、それとも世界の読者に向けたものになりますか?

 

A-7.

 わたしは英語で書いていますが、対象を英米の読者に限定したことはありません――十分な情熱と文化的共通性があれば幅広く受け入れられると信じており、いまのところ、それでうまくいっているようです(ただ、わたしはフランスで多少なりとも西洋文化のなかで育ったので、だいぶ有利だといえます)。


Q-8.
地元の場で活躍している作家や作品で、世界の読者に心から推薦できるものがありますか?  それは英米にはないタイプのものだからですか? それとも、英米にもぴったりで、ともに楽しめるものをたくさんもっているからですか? 独自性と親和性とどちらのほうがだいじだとお考えですか?

 

A-8.

 すみませんが――この質問はいくつか問題をはらんでいるようなので、フランス語の作家をお薦めする前に(たくさんいるうちのよりすぐりです!)そのことについて書かせてください。まずは“独自性”、英米にはないタイプのものにかぎり推薦しようという考え方について。これが問題なのは、英米を基準とすることが前提になっているところです――英米の作家とフランスの作家が似たような作品を書いたとして、どうして英米の作家が優先されることになるのでしょうか(フランスの作家の作品のほうがアメリカの作家のものよりすぐれているかもしれないし、20年も先に書かれたかもしれないのに!)。それに“独自性”があって比類がないという理由だけで作品を薦めるのは危険です。「独創的な作家にかぎり翻訳しよう」とか、「これこれが翻訳されないのは独創性がなくてつまらないからだ」(この意見はインターネットでとてもよく見かけますが、どれだけ繰り返されようとも断じてまちがいです!)という考えに直結しがちだからです。

 それから“親和性”にも問題があります。世界中でともに楽しむのに“ぴったり”な作品だけを翻訳しようという考え方は非常に問題です。インターネットでもそういった意見を見かけます。「ハリウッド映画は普遍的だから世界中に輸出されるが、“ローカル”な映画はその地域特有だから広く輸出されない」などなど。こうした意見はつまらないし、説得力もありません。ハリウッド映画がアメリカ以外でも人気なのは、世界中にアメリカ文化が浸透しているからであり、多くの国の自国映画がアメリカ映画の輸入システムの力で脇に追いやられているというだけです。

 もちろん、翻訳不可能な作品や翻訳するのがきわめて困難な作品(ユーモアが重要な作品は概して翻訳しにくいものです)もあります。その国特有の内容で、たとえば、フランスの文化や歴史の知識がないと十分には理解できない作品もあるでしょう(それはヴェトナムでも中国でも同じです)。でも、わたしが思うに、それは単にアメリカの読者や世界の読者が作品から受け取るものがフランスの読者とは違うというだけのことではないでしょうか。作品のニュアンスをすべて理解することはできないかもしれない。でも、だからといって読んでいけないことはないし、そこから得るものが何もないわけでもありません。フランスで育ったわたしがヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』を原語で読んで感じることと、アメリカ人読者が感じることは違うでしょう。けれども、理解度や読み方が違おうと作品を楽しめることに変わりはありません――文芸作品とはそういうものです。世界に紹介するのに“ぴったり”な作品かどうかよりも、読者がどれだけ自由な感性と好奇心をもって読むかが重要だとわたしは思います。

 すみません、すっかり本題からそれてしまいましたね。さて、わたしのお薦めのフランス人作家とフランス系カナダ人作家を紹介します。彼らのSF作品はすばらしく、もっと世に知られてほしい。推薦する理由は純粋にそれだけです。

Elisabeth Vonarburg  細部まで及ぶ鋭い視点と豊かな想像力を駆使して奥深いSF作品を書いています。なかでもフランスの歴史を改変して東南アジア植民支配を辛辣な目で描いたReine de Mémoireは大好きな作品です。

Alain Damasio  彼のHorde Du Contreventは、多彩な個性の冒険家たちが、あらゆる風の源を探そうと、嵐に破壊された世界を旅をする内容で、テーマも様式も独創性豊かで斬新な作品です。

Jeanne A-Debats  自身の思想を力強く発信し、ラジカルなエコロジストSFを書いています。

Pierre Bordage  神秘主義の味つけがされたスペースオペラを書くベストセラーSF作家です。わたしはLes Guerriers du silenceシリーズが大好きで、夫はLa Fraternité du Pancaシリーズの最新作を薦めています。

Q-9.
ジャンルに関係なく、日本の小説を読んでおもしろかったものはありますか? どういった部分がおもしろかったのでしょう?

A-9.

 日本の作品も読んでいますが、ジャンル外のものが大多数です(日本の詩歌はよく読みます。『源氏物語』と『平家物語』も読みました。漫画もたくさん読みますが、どうやら質問の対象外みたいですね!)。ジャンルでいちばん最近読んだのは伊藤計劃の『ハーモニー』です。医療制度に対する強烈な風刺、その先に起こりうる恐ろしい未来を描いた作品でした。

 こうした作品を読んでおもしろいのは、日本の文化を垣間見られること、そして物事に対するまったく違う見方に出会えることです。SF作品の場合、どんなに斬新なものでも、たいていは限られた枠の域を出ず、同じテーマが繰り返し使われるばかりか、テーマに対する見方もあまり変わり映えがしません。先日ル・グィンのFour Ways to Forgivenessを読んでいて、そこに書かれている植民地解放の話はアメリカの奴隷制度とどうしても切り離せないものに感じました。だからといってこの作品の偉大さ(本当にすばらしい作品です!)を否定するつもりはありません。ただ、ジャンル作品が新しい宇宙文明社会を創造するときですら西洋英語圏の歴史と固定観念から抜け出せずにいるのは、やはり少し残念に思います。

Q-10.
外国文学をあなたの地元の読者に、またあなたの地元の作品を外国の読者に広めるために、あなたはどんなことをしておいででしょうか?

 

A-10.

 何年か前から、意識的にいろいろな国の作品を読むようにしています――ただ、同時に、英語に翻訳されている作品がいかに少ないか、ますます実感するようになりました。わたしのブログでは、自分が読んで気に入った作品をときどき特集で紹介しており、そこではアメリカ以外のジャンル作品もとりあげるようにしています。ラヴィ・ティドハーのWorld SF blogにも不定期ですが参加しています。それから西洋英語圏外で英語の作品を書いているほかの作家たち――Rochita Loenen-Ruiz、Zen Cho、新進作家のBenjanun Sriduangkaewなど――の売り込みに全力で取り組んでいます。

 自著の宣伝はというと、あまりたいしたことはやっておらず、ブログを書いて、ツイッターでまめに発信し、なるべくおもしろいコンテンツを提供するようにしているくらいですね。

 

訳注 ドボダールの作品はほとんどが歴史改変テーマという、じっさいの歴史とは異なる世界を描いたもの。

(訳:黒沢由美)

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アリエット・ドボダール(Aliette de Bodard)はフランス人の父とヴェトナム人の母のもとにニューヨークで生まれ、フランスで育ったSF作家。フランスに暮らしながら、アステカ帝国が繁栄する歴史改変小説や、中国とアステカが2大文明圏を形成する歴史改変小説のシリーズを英語で書き、ネビュラ賞やヒューゴー賞の候補に選ばれたこともある注目作家。これまでに長篇3冊、短篇集1冊を発表している。翻訳は〈SFマガジン〉2012年7月号に「奇跡の時代、驚異の時代」(小川隆訳)がある。

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