イェトセ・デヴリーズ
アンケート回答その1
(2012年9月公開)
アンケート回答その2
(2012年10月公開)
アンケート回答その3
(2012年11月公開)
Q-1.
あなたのアイデンティティはどこの国/民族/文化にありますか?
A-1.
私はオランダで生まれ、いまもオランダに住んでいます。だからアイデンティティはオランダにあります。私は白人男性で、無神論者で、文化的には多文化主義を支持する寛容なオランダ人です。
Q-2.
SF/ファンタシイ/ホラー/スリップストリームといったジャンルはずっと英米語に支配されてきました。あなたがもっとも影響を受けたのは英米のジャンル小説ですか?
A-2.
たしかにそれも、私が大きく影響をうけたもののひとつです。高校卒業のころ、(読書では)オランダ文学にもっとも影響を受けていましたが、世界中を旅していた父親に教えられて、サイエンス・フィクションを知りました。80年代には英語のSFはいまよりずっと多くのものがオランダ語に翻訳されていましたから、オランダSFと並んで英米のSFを読みまくったものです。私自身も(昼間の仕事で)よく旅行するようになったころ、オランダ語に翻訳されるSFがどんどん減ってしまい、英語のペーパーバックはオランダ語のものよりずっと安かったということもあり、英語で本を読むようになりました。
Q-3.
英米小説とご自国の、あるいは非英語小説との読書の割合を教えてください。現在のものでけっこうです。
A-3.
だいたい9対1の割合です。すみません。私が読むのはほとんどすべて、英語の本です(オランダ語に翻訳されている本でも、英語で読みます)。ジャンル小説にかんして、私は超国際派ですし、英語版はいちばん入手しやすいので。それにさまざまな国のフィクションの多くは、ほかの言語よりずっと、英語に翻訳されている比率が高いです(もっとも、スペイン語と中国語への翻訳も多いかもしれません)。つまり、オランダ語に翻訳される作品は非常に少ないので、オランダ語の本を読むより英語の本を読んだほうが世界のSFの全体像がよく見えます。
いずれにせよ、私が読む本の大部分は英米の小説です。この習慣は直さなければ(少なくとも減らさなければ)いけないかもしれませんね。
Q-4.
残念ながら多くのワールドなんとかは、じっさいにはアメリカのものです。野球のワールド・シリーズから、ぼくたちのジャンルのワールドコン(ぜんぶじゃないけれど)や世界幻想文学大賞にいたるまで。どうすれば、本来の枠組みにただせるでしょう、現実の無秩序な世界を反映するように?
A-4.
もちろん、世界でもっとも人気のあるスポーツを、アメリカでは“サッカー”と呼ぶこともそうです。正しくは“フットボール”なのに(1試合の中で、多くても5秒くらいしか足でプレーしないスポーツに“アメリカン・フットボール”という名前をつけるのもまったくおかしなことです。“アメリカン・ラグビー”のほうがよっぽど合っています)。
これを変えるには、真に国際的なSFコンヴェンションを組織するか(ユーロコンは、世界規模ではありませんが、その一例だと思います)、ワールドコンやワールド・ファンタシィ・コンヴェンションを内部から変えていくことでしょう。後者は、ゆっくりとではありますが、すでにはじまっています。たとえば、World SF Blogを通じて、Peerbackersというサイト上で“ワールドSFトラヴェル・ファンド”という資金集めが行われました。そのファンドには十分な資金が集まり、フィリピン出身で幅広い才能をもったSF作家、チャールズ・タンが、昨年サンディエゴで行われたワールド・ファンタシィ・コンヴェンションに参加するための航空券を購入できました。今年も、スウェーデンの作家Karin TidbeckとNene Ormesをトロントで行われるワールド・ファンタシィ・コンヴェンションに行かせます。
ワールドSFブログ(ラヴィ・ティドハーによって創設)のほかでは、最近はじまったインターナショナル・スペキュラティヴ・フィクションのウェブサイトが、真の意味で国際的なスペキュラティヴ・フィクションの作家を英語圏に紹介することに尽力しています。そしてアンとジェフのヴァンダーミア夫妻のように、非英語を母語とする作家たちの作品を自分たちのプロジェクト(たとえば分厚いThe Weird、The Steampunk Bible、Best American Fantasyシリーズ)に収録しようと、最大限の努力をしている人びともいます。それにScience Fiction and Fantasy Translation Awardをはじめたシェリル・モーガンもいます。ドイツでは、ミヒャエル・イーヴォライトがInter Novaを復活させました。最後になりましたが、ハイカソルによる日本のSF/ファンタシィの翻訳書の出版事業もあります。こうしたプロジェクト、出版社はまだほかにもあるでしょう。
このように、変化の速さはそれほどでもなく、一般の人びとにはよくわからないかもしれませんが、さまざまな変化が起きています。
Q-5.
たしかに、ぼくたちはアメリカのポップ・カルチャーの多大な影響を受けています。村上春樹もアメリカの小説やジャズの影響無しにはいまのような小説は書けませんでした。あなたの場合も同じでしょうか? そうした影響をまったく受けずに執筆することを想像できますか?
A-5.
私は自分を世界市民だと考えるようにしています。これまでいろんなところに旅行してきたので(6大陸の50カ国以上の国々)、影響を受けているのはアメリカのポップ・カルチャーだけではないと思います。
私の小説のいくつかの舞台はアメリカ合衆国ですが、イギリス、アイルランド、オーストラリア(アメリカ以外の英語圏の国々)、スペイン、オランダ、ロシア、カリブ諸国、ザイール、ブラジル、そして日本を舞台にした作品もあります(日本ではいくつかの都市を訪れましたが、その中では長崎にいちばん多く訪れ、長く滞在しています)。
Q-6.
最近では多くの若い作家や編集者が英語で仕事をし、アメリカのマーケットに向けて書いています。そんな仕事のしかたは邪道だと思いますか? それとも、影響の大きさを思えば当然のことだと思いますか?
A-6.
私が英語で小説を書き始めたのは(編集の仕事はずっとあとになってからです)マーケットの規模が大きいからです。オランダ語で書かれたSF小説のオランダのマーケットは小さく、オランダ語のSF短篇はさらに小さいです(そしてもっと重要なことに、オランダ語のSF短篇には“お金を払ってもらえる”マーケットはありません)。
ですから私は英語で仕事をするのが悪いことだとは思っていません。私自身も自分の意思でそれを始めましたから。それは自分の作品を送り出せるマーケット(そのほとんどが“お金を払ってくれる”マーケット)が多くなるからでした。それもアメリカのマーケットに限りません(イギリス、カナダ、アイルランド、オーストラリアもあるのです)。つまり(マーケットが増えるということで)自分の作品を売れる可能性が大きくなり、より多くの人びとに作品を読んでもらえるかもしれないのです。
Babelfishやグーグル翻訳が、フィクションを(さらに言えばノンフィクションでも、何でも)“正しく”翻訳できたらすばらしいでしょう。しかし当分のあいだは無理そうです。コンピュータ・プログラムが、外国語の作品を、経験豊かな人間の翻訳者と同等(またはそれ以上)にうまく翻訳できるようになるころには、不気味なほど人工知能に近いものが生まれていると思います。それはまったくあたらしい可能性のパンドラの箱を開くことになるでしょう。
Q-7.
もし英語で書くことになった場合、それは英米の読者に向けた仕事ですか、それとも世界の読者に向けたものになりますか?
A-7.
これまでの回答で書いたように、私はすべての作品を英語で書いています。イギリスの近くに住み、もう4年以上にわたって雑誌〈インターゾーン〉の編集チームに参加していますので、ブリティッシュ・イングリッシュで(アメリカ英語ではなく。微妙な違いがあります)書くようにつとめています。しかしそれは、英語というものの種類の差です。
私は作品を世界の読者に向けて書こうとしています。それは諸刃の刃です。いっぽうでは、作品を読んでくれる英米の読者が増えるかもしれないけれど、もういっぽうでは、英米の編集者が――最初に原稿を読み――コアの読者層にあまりなじみがないという理由で、作品を拒否するおそれもあります。それでも、多くのオンラインSF雑誌は、さまざまな国の読者をどんどん増やしていますし、いい方向に変わってきていると思います。
Q-8.
地元の場で活躍している作家や作品で、世界の読者に心から推薦できるものがありますか? それは英米にはないタイプのものだからですか? それとも、英米にもぴったりで、ともに楽しめるものをたくさんもっているからですか? 独自性と親和性とどちらのほうがだいじだとお考えですか?
A-8.
正直に言うと、私はオランダのSF/ファンタシィのシーンにあまり詳しくありません。私自身は世界に向けて活動しているので。それでもあえて、新進のオランダ人作家の名前を挙げるとすれば、Paul EvanbyとRochita Loenen-Ruiz(偶然ですが、ふたりは〈インターゾーン〉の同じ号で作品を発表しています)を推薦します(註・Rochitaはもともとフィリピン出身ですが、オランダ人男性と結婚してオランダに住んでいます)。
Paul EvanbyはSFとファンタシィの両方で、世界のさまざまな場所を舞台にした(私は中国、モロッコ、カリブ諸国を舞台にした短篇を読んだことがあります)作品を書いています。彼の代表作である、De ScrypturistとDe Vloedvormerはファンタシィの設定の小説です。彼の作品の多くはオランダと強く結びついたものです。
残念ながら私は、Rochita Loenen-Ruizの作品はあまり読んでいません。彼女の作品は、SFではなく、ファンタシィや純粋な“怪奇小説(ウィアード・フィクション)”です。
このように、PaulとRochitaは、自己の親和性を独自の方法で活かしていると言えると思います。言い換えれば、親和性と独自性は必ずしも別ものではないということです。正しくつかえば、両立は可能ですし、相互に作用することで部分の総和より大きなものになると思います。
Q-9.
ジャンルに関係なく、日本の小説を読んでおもしろかったものはありますか? どういった部分がおもしろかったのでしょう?
A-9.
私が最近読んだ日本の小説は、野尻抱介の『太陽の簒奪者』と乙一の『ZOO』です(どちらもハイカソルの英訳本です。ニック・ママタスはすばらしい仕事をしていると思います)。『太陽の簒奪者』のハードSF外挿法と、『ZOO』に描かれた現代日本ダークファンタシィの不気味な世界観がおもしろいと思いました。
Q-10.
外国文学をあなたの地元の読者に、またあなたの地元の作品を外国の読者に広めるために、あなたはどんなことをしておいででしょうか?
A-10.
私がShine(オプティミズムの近未来SFを集めたアンソロジー)を編集したときには、世界中から作品を収録する努力をしました。期待したほどではありませんでしたが、そのアンソロジーにはアメリカ人7人、カナダ人3人(そのひとりは韓国在住)、イギリス人3人(そのひとりは長年オランダに住んでいました)、フランス人1人、イスラエル人1人、メキシコ人1人(現在カナダ在住)、ブラジル人1人の作品を収録しました。
さらに、Shineアンソロジーのウェブサイトには、シリーズ〈SFを中心とする、世界のオプティミズム文芸〉を連載しました。6回だけでしたが、その内訳はウクライナ、フィリピン、韓国、アニメ(そうです、これはほとんど日本のものです)、ブラジルとイスラエルです。私は当時、数多くの人々に問い合わせましたが、残念なことに記事を提供してくれたのは彼らだけでした。
個人的なことを言えば、私は1年以上前からブログを休止しているので、最近発表したいくつかの作品(“Perfect World”、“Solitude, Quietude. Vastitude”――私の故郷の町を舞台にしたはじめての作品――“Connoisseurs of the Eccentric”――日本人とアフリカ人の主人公)を宣伝するのに使っている唯一の方法は、ツィッターかフェイスブックで、国際的なフォロワーが興味をもってくれることを期待しています。言うなれば私はSFに燃え尽きたような1年間を過ごし、いまゆっくりと復帰している途中という状態です。
(訳:高里ひろ)
イェトセ・デヴリーズ(Jetse de Vries)はオランダのSF作家。執筆はもっぱら英語で、2003年に作家デビューするかたわら、2004年から雑誌〈インターゾーン〉の編集に参加し、さらにはオプティミスティックな未来観にもとづくポジティヴSFのアンソロジー・シリーズShineの編集も手がけている。