top of page
アニル・メノン
India.png

アニル・メノン

アンケート回答その1

(2012年9月公開)

India.png
Philippines.png
South-Africa.png

アンケート回答その2

(2012年10月公開)

Finland.png
France.png
Israel.png
Israel.png
Netherlands.png

アンケート回答その3

(2012年11月公開)

Australia.png
Canada.png
Switzerland.png
United-States.png
United-States.png
United-States.png

Q-1.
あなたのアイデンティティはどこの国/民族/文化にありますか?

 

A-1.
 基本的にはインドにありますが、アメリカの文化にも好きなところはたくさんあります。従来、人間には三つのタイプ――周辺諸派の人、主流派の人、どちらの要素も兼ね備えた人――がいました。近頃では、新たにもう一つのタイプ、過渡的な人間が生まれたように思えます。古い世界と、いままさに作られつつある新しい世界との間で板挟みになっている人たちのことです。世界にあまり変化がなかったころには、過渡的な人間もほとんど見られませんでした。ですが、いまや世界は、日々新しく作り替えられているように思えます。そんないまでは、ぼくたちのほぼ全員が過渡的な人間なのです。


Q-2.
SF/ファンタシイ/ホラー/スリップストリームといったジャンルはずっと英米語に支配されてきました。あなたがもっとも影響を受けたのは英米のジャンル小説ですか?

 

A-2.
 英米の一般小説に関してはそのとおりですが、ジャンル小説にはあまり影響を受けてきませんでした。SFの考え方は好きです。ただ、これまでのところ、その発想がじゅうぶんに活用されてきたとは思えません。もちろん、すばらしいSF作品はたくさんありますし(ぼくの親しんできた作品は、ほとんどが英米のものです)、なにかに反発することだって、ある種のインスピレーションと言えるかもしれません。

 

Q-3.
英米小説とご自国の、あるいは非英語小説との読書の割合を教えてください。現在のものでけっこうです。

 

A-3.
 自由に読み書きできるのは英語だけです。いまのところ、読む本のうち、南アジアの作家による作品が全体の60から70パーセントを占めていて、そのなかには、はじめから英語で書かれたものもありますし、英語に訳されたものもあります。できるだけ非欧米圏の作家の作品を読むようにしていますが、作品自体が手に入らないこともあり、それが最大のネックになっています。

 

Q-4.
残念ながら多くのワールドなんとかは、じっさいにはアメリカのものです。野球のワールド・シリーズから、ぼくたちのジャンルのワールドコン(ぜんぶじゃないけれど)や世界幻想文学大賞にいたるまで。どうすれば、本来の枠組みにただせるでしょう、現実の無秩序な世界を反映するように?

 

A-4.
 やってはいけないのは、この問題を白人に解決しろと求めていくことです。植民地時代の発想のように白人が背負うべき問題とすることはありません。彼らが仕切る時代はもう終わろうとしています。そろそろ休ませてあげましょう。さて、問題を解決するには、ぼくたち自身が、自国のマーケットを開発するしかありません。難しいことではありませんが、そうするためには、作家が自分の創作活動とは直接関係のないことに時間をさく必要があります。アメリカのSFマーケットは、アメリカの作家達の手によって作られてきました。彼らは、作家であるだけでは足りないことに気づいていたのです。労を厭わず、互いの作品に赤 を入れ、次から次へと粗末な安雑誌を創刊し、賞を設け、コンヴェンションを開き、無数のアンソロジーを出版し、ぬくもりを求めて肩を寄せ合いました。アメリカの雑誌、つまりア
メリカの編集者にインドや日本のSFを育ててもらおうとしても無駄でしょう。たとえば、SFの小説にもっと有色の人々を出したいなら、自分たちの手で新たに雑誌を立ち上げ、そこで有色の人々が出てくる優れた小説を出版することです。難しいことではありませんし、さほどコストもかかりませんが、労力と時間は要ります。参考になるのは、ラヴィ・ティドハーのワールドSFへの取り組みです。ティドハーは一人で(というのは比喩です。実際は二人か三人で)世界中のSF作家の作品を発表するフォーラムを作りました。もっとたくさんのティドハーがいても良いのではないでしょうか。

 

Q-5.
たしかに、ぼくたちはアメリカのポップ・カルチャーの多大な影響を受けています。村上春樹もアメリカの小説やジャズの影響無しにはいまのような小説は書けませんでした。あなたの場合も同じでしょうか? そうした影響をまったく受けずに執筆することを想像できますか?

 

A-5.
 ほかの文化から影響を受けるのはまったく悪いことではありません。むしろ個人的には、文字通り、いろいろなものをあさり、そこから盗むことに賛成の立場です。ヨーロッパの近代文化は、大部分をギリシャとローマの文化から「借りて」きています。それに、考えてもみてください。イギリスの文化から、フランスやギリシャ、ローマの文化を差し引いたら、なにが残るでしょう。ぼくたちが「影響を受けている」アメリカの文化にしても、移民の多種多様な文化を差し引いたら、なにが残るでしょう。ぼく自身の世界の話をするなら「インド文化」なんていうものは存在しません。たしかに、色っぽい濡れたサリーのバージョンは世界中に広まっています。ただ、このバージョンでは、文化というものが、いくつかの分かりやすい、目に見えるシンボルにまで矮小化されているのです。とはいえ、仮に、インド文 化というものがあるとするなら、それは、まとまりのなさにあるでしょう。てんでんばらばらなものが寄り集まっているさまは、クレイジーキルト(色も形も違う布を縫い合わせたキルト)のようです。たとえば、ぼくの目には、ケーララ州の美術品や建物は、日本の美的感覚に驚くほど似ているように映ります。多くの文化が互いに足跡を残し合い、いまでは、なにが独自のもので、なにがそうでないのか、ほとんど見分けがつきません。ぼくが自分の大 好きなものを、大好きなこのクレイジーキルトにいくら付け加えていっても、キルトはキルトのままでしょう。

 

Q-6.
最近では多くの若い作家や編集者が英語で仕事をし、アメリカのマーケットに向けて書いています。そんな仕事のしかたは邪道だと思いますか? それとも、影響の大きさを思えば当然のことだと思いますか?

 

A-6.
 英語で仕事をする人が増えるのは大歓迎です。読める小説が増えるということですから。ぼく個人の事情に限らず、地域の文学にとっても良いことです。英語か地域の言語かという二者択一の問題として考える必要はありません。Rita Kothari は、インドの翻訳業界を見 て、英語がハブとして機能し、別々の地域の言語を結んでいることに気がつきました。理由は簡単です。たとえば、アッサム語とマラヤーラム語の両方ができる翻訳者はほとんどいないのですが、アッサム語から英語に訳せる翻訳者や、英語からマラヤーラム語に訳せる翻訳者ならたくさんいるからです。社会にとっても仲介言語があるのは良いことです。PiersGrayのエッセイ“Stalin on Linguistics”にもあるように、仲介する言語を抜きにしてそれぞれの言語が勝手に広まっていくという状況は、多くの独裁者が夢見るものだからです。


Q-7.
もし英語で書くことになった場合、それは英米の読者に向けた仕事ですか、それとも世界の読者に向けたものになりますか?

 

A-7.
 国際的な読者に向けて、だと思います。

 

Q-8.
地元の場で活躍している作家や作品で、世界の読者に心から推薦できるものがありますか?  それは英米にはないタイプのものだからですか? それとも、英米にもぴったりで、ともに楽しめるものをたくさんもっているからですか? 独自性と親和性とどちらのほうがだいじだとお考えですか?

 

A-8.
 このところぼくが友人に薦めているのは、Naiyar Masud(Naiyer表記もあり)の小説です。彼は、ウルドゥー語で書く作家で、インドの北部、ラクナウの町に住んでいます。むかしから一部の人にはよく知られていましたが、いずれもっと多くの人に大々的に知られるようになると思います。ボルヘスやカフカと同じカテゴリーに属する作家、つまり、作家好みの作家であり、新しい読者層をつくるような作家です。このような比較は、方位磁石の針くらいに思えば役に立ちます。Masudはあまり旅をしませんし、インターネットを活用しているようにも思えません。もしかすると、彼の作品の背景がラクナウ(ヒンドゥーの精神をそなえたムスリムの町)にほぼ限定されているのは、そういったネガティヴな要因があるからかもしれません。その一方で、彼の小説には、特定の場所の名前や、日付、一部の人にしか分からない情報がほとんど見られません。ぼくは、ウルドゥー語で書かれた作品を翻訳でしか読んだことがありません(ウルドゥー語はヒンドゥスターニー語と近いのですがそれでも)。その経験から得た感触ですが、ウルドゥー語の作家(大半がムスリムですが全員というわけではありません)は、30年代から70年代にかけて、スペキュラティヴ・フィクションの興味深い形式を作り上げたように思えます。場所の感覚が強く、内向的で、むやみやたらと神話を持ち出さず、リアリズムに基礎を置くものです。Masudの小説と併せて、Surendra PrakashとKhalida Asgharもお薦めしたいと思います。初心者向けの入門書なら、Mehr Farooqi のThe Oxford India Anthology of Modern Urdu Literature: Fictionや、Annual of Urdu Studiesが良いでしょう。Masudのことを取り上げた、ぼくのブログの記事でも、いくつかお薦めの小説を紹介しています。

 

Q-9.
ジャンルに関係なく、日本の小説を読んでおもしろかったものはありますか? どういった部分がおもしろかったのでしょう?

 

A-9.

 最近読んだ三島由紀夫の『金閣寺』には深い感銘を受けました。ぼくの次の作品は、この偉大な作品に遅ればせながら負っているところがあります。遅ればせながらというのは、三島の作品を知ったのが、似たようなアイデアでさんざん悩んだあとだったからです。彼の主人公である溝口は美に対して反感を持っていましたが、ぼくは、むしろ清廉潔白さのほうに苛立ちを感じます。ぼくは、彼の作品を幸福なディストピアを求める声として受け取りました。溝口ならきっとインドを好きになったと思います。

Q-10.
外国文学をあなたの地元の読者に、またあなたの地元の作品を外国の読者に広めるために、あなたはどんなことをしておいででしょうか?

 

A-10.

 ぼく自身は、インド人以外の作品を広める機会にあまり恵まれていませんが、都市部の文 学サークルのなかには、まさにそのことに取り組んでいるグループもあります。自身の作品に関しては、自分がコントロールできる範囲のことを気にするのが一番だと思っています。ですから、いったん作品が世に出たら、需要があるかどうかはあまり気にしません。供給サイドのことに専念するようにしています。インターネットは、少数の人にしか興味を持たれないことなどないことを教えてくれました。もし、ぼくがなにかに興味を持ったら、少なくとも100万の人が同じような気持ちを持ってくれる可能性があります。つまり、一番大事なのは、自分が楽しめる小説を書くということです。

 

(訳:岩倉りさ)

katatumuri.gif

アニル・メノン(Anil Menon)はインドのSF作家。おもに短篇を中心に活躍し、インド神話『ラーマーヤナ』をテーマにしたアンソロジーBreaking the Bowを編むなど、インドSFの普及発展にも積極的に活動している。

bottom of page