チャールズ・タン
アンケート回答その1
(2012年9月公開)
アンケート回答その2
(2012年10月公開)
アンケート回答その3
(2012年11月公開)
Q-1.
あなたのアイデンティティはどこの国/民族/文化にありますか?
A-1.
フィリピン人としてのアイデンティティをもっているつもりです。フィリピンで生まれて、ずっとこの国で育ってきましたから。だけどもっと細かくいえば、もちろん中国系フィリピン人のコミュニティに属しています。
Q-2.
SF/ファンタシイ/ホラー/スリップストリームといったジャンルはずっと英米語に支配されてきました。あなたがもっとも影響を受けたのは英米のジャンル小説ですか?
A-2.
はい。なぜならご指摘のとおり、このジャンルの小説は英米の作家が中心になっていますし、ここフィリピンでは英語を教わるからです。
Q-3.
英米小説とご自国の、あるいは非英語小説との読書の割合を教えてください。現在のものでけっこうです。
A-3.
わたしの場合、少し説明が必要です。まずわたしは英語読者なので、読むものはすべて英語ですし、ここフィリピンで刊行されたものをのぞけば、大半が英米の出版社から出されたものになります。ハイカソルから出た日本の小説や短篇集も読んできましたが、たとえ親会社が小学館(と集英社)だとしても、つきつめればハイカソルも英米の出版社ですからね。もうひとつの問題点は、少なくともここフィリピンでは、英米の出版物にくらべて地元の出版社の刊行点数が圧倒的に少ないことです。フィリピン国内で発表されたSF作品は数えるほどですし、容易に読み尽くせます。英米の小説には、とてもそんなことはできません。そういうわけで、わたしが読むものの大部分は英米の小説になってしまうのです。
Q-4.
残念ながら多くのワールドなんとかは、じっさいにはアメリカのものです。野球のワールド・シリーズから、ぼくたちのジャンルのワールドコン(ぜんぶじゃないけれど)や世界幻想文学大賞にいたるまで。どうすれば、本来の枠組みにただせるでしょう、現実の無秩序な世界を反映するように?
A-4.
ひとつの案は名前を変えるというやり方ですが、伝統を考えると、いかにも難しそうです。ワールドコンと世界幻想文学大賞は、わたしたちが提案したからといって、いまやブランドとなったその名前を変えはしないでしょう。代わる案として、そうした大会や賞を名前にふさわしい、実際に世界を反映したもっと幅広いものにする方法を模索するという手が考えられますが、これにはかなりの努力と時間が必要になるでしょう。いくらかの進展は見られるかもしれませんが、一足飛びに目標達成とはいかないはずです。また、大会の構造についても考えなくてはなりません(ワールドコン出席者の大半は欧米人で、これも一夜にして変わるとは思えません。それから、世界中のジャンル人がワールドコンに出席するべきだとも思いません。その必要がありますか? あちらはわたしたちの要求や不安を気にかけてくれないのに)。
Q-5.
たしかに、ぼくたちはアメリカのポップ・カルチャーの多大な影響を受けています。村上春樹もアメリカの小説やジャズの影響無しにはいまのような小説は書けませんでした。あなたの場合も同じでしょうか? そうした影響をまったく受けずに執筆することを想像できますか?
A-5.
ええ、ここフィリピンでも状況は同じです。しかし重要な違いは、たしかにアメリカのポップ・カルチャーを模しただけのような作品もあるけれど、重要な作品はこの国の文化も取り入れて、独自のものを作りあげているという点です。
歴史的に見て、フィリピンは良かれ悪しかれ、スペイン、アメリカ、日本といった宗主国によってかたちづくられてきました。そしていずれの国からも文化的な影響を受けてきたのです。フィリピン人はそれらによって定義されるものではありませんが、自分たち独自の声と歴史を探す作業もまた、たいへんなことなのです。
Q-6.
最近では多くの若い作家や編集者が英語で仕事をし、アメリカのマーケットに向けて書いています。そんな仕事のしかたは邪道だと思いますか? それとも、影響の大きさを思えば当然のことだと思いますか?
A-6.
邪道だとは思いません。とくに読者と収入のことを考えると。なにしろフィリピンでは、小説執筆による収入だけで生活するのは本当に難しいのです。また、お金になるかどうかに関係なく、発表できるマーケットもあまり多くありません。
Q-7.
もし英語で書くことになった場合、それは英米の読者に向けた仕事ですか、それとも世界の読者に向けたものになりますか?
A-7.
どのマーケットで発表するかによります。アメリカの読者を対象とする場合は、少し調整が必要です。同胞のフィリピン人に向けて書くときは、それに適した書き方になります。さらに、とくに対象を考えず、フィリピン人向けでもないものを書くときは、また異なるアプローチを採用します。難しいのは、対象となる読者に敬意を払いつつ、読者におもねってしまわないようにすることだと思います。
Q-8.
地元の場で活躍している作家や作品で、世界の読者に心から推薦できるものがありますか? それは英米にはないタイプのものだからですか? それとも、英米にもぴったりで、ともに楽しめるものをたくさんもっているからですか? 独自性と親和性とどちらのほうがだいじだとお考えですか?
A-8.
多作かつ才能あるフィリピン人作家をひとり挙げるなら、ディーン・フランシス・オルファーでしょう(じつはわたしが働いている出版社から彼の二作目の短篇集を電子書籍として刊行する予定です)。文体は洗練されているし、人とは異なることをしようとしています。わたしのお気に入りは“The Kite of Stars”です。
独自性と親和性は完全に別の問題でしょう。両方とも重要だと思いますし、相容れないものでもないと思います。独自性が大事という読者もいれば、親和性を重んじる読者もいます。ある意味で小説の価値というのは、われわれが異なるパラダイム(とりわけ自国のものではない)を受け入れることにあると思うので、独自性と親和性の両方が重要な役割を果たすと考えます。たとえばフィリピンは人口過密という問題を抱えていますが、日本のSFをいくつか読んだところ、日本は高齢者が増える一方で若者が減るという人口減少の問題を抱えているようです。どちらの問題意識も重要で妥当なものですが、結局は同じテーマに別々のアプローチで取り組んでいるということなのです。
Q-9.
ジャンルに関係なく、日本の小説を読んでおもしろかったものはありますか? どういった部分がおもしろかったのでしょう?
A-9.
じつはかなり以前から日本の作品が大好きです。アニメや漫画に始まって、翻訳小説にたどりつきました。どの作家にもほかとは異なる独自の魅力があるので、これと限定することはできません。たとえば小説でいうと、乙一には独特の不気味さがあります。かたや小川洋子には洗練が。アニメ版しか知らないのですが、田中芳樹の『銀河英雄伝説』にはアメリカのSFには見られない広がりとリアリズムがあります。神坂一の作品はD&Dで鍛えたわたしのゲーム感覚に訴えかけながら、どこか独特の要素をも備えています(『ドラゴンマガジン』で連載された作品の多くも同じくらいユニークで興味深いと思います)。
Q-10.
外国文学をあなたの地元の読者に、またあなたの地元の作品を外国の読者に広めるために、あなたはどんなことをしておいででしょうか?
A-10.
個人的には、ブログやツイッターなどで外国文学への偏見を払ったり外国作品を推薦したりしています。ときにはそうしたテーマで記事を依頼されることもあります。
(訳:石原未奈子)