ガイ・ハッソン
アンケート回答その1
(2012年9月公開)
アンケート回答その2
(2012年10月公開)
アンケート回答その3
(2012年11月公開)
Q-1.
あなたのアイデンティティはどこの国/民族/文化にありますか?
A-1.
ぼくはイスラエルとアメリカという2つの国で育ちました。どちらも大事に思っていますが、どちらに対しても、ここがほんとうに自分の属する場所だとは思えずにいます。
Q-2.
SF/ファンタシイ/ホラー/スリップストリームといったジャンルはずっと英米語に支配されてきました。あなたがもっとも影響を受けたのは英米のジャンル小説ですか?
A-2.
ジュール・ヴェルヌは例外ですが(ヴェルヌには、子供のころに出会って以来、ずっと影響を受け続けています)英米のサイエンス・フィクションとファンタシイが創作の糧になっています。
Q-3.
英米小説とご自国の、あるいは非英語小説との読書の割合を教えてください。現在のものでけっこうです。
A-3.
読む本のうち、95パーセントが英米の文学です。ただ、それは良い小説を書かれたままの言葉で読みたいから、また、ヘブライ語で書かれた小説よりも英語で書かれた小説の方が圧倒的に選択肢の幅が広いからという理由によるものです。作者の表現したいことは言葉の微妙なニュアンスに宿るものなので、なるべく書かれたままの言葉で読みたいと思っています。とはいえ、いまはトルストイを再発見するという幸せな経験をしています。また、トルストイのような文豪のあとに名前を出すのは気が引けますが、ミヒャエル・エンデも同じくらい大好きな作家です。彼の作品もよく読み返しています。
Q-4.
残念ながら多くのワールドなんとかは、じっさいにはアメリカのものです。野球のワールド・シリーズから、ぼくたちのジャンルのワールドコン(ぜんぶじゃないけれど)や世界幻想文学大賞にいたるまで。どうすれば、本来の枠組みにただせるでしょう、現実の無秩序な世界を反映するように?
A-4.
この質問は、マーケティングの話でしかありません。ときとして、ある名前をなにかに冠すると、それだけで世界規模になることがあります。自分たちが“世界”だと名乗っておけば、“世界”をものにできるのです。とはいえ、マーケティングに限った話として考えれば、それほどたいしたことではありません。賞もまた同じです。なにをおいても、まず賞はマーケティングに利用されます。一般的に、読者(バイヤー)というものは、賞を取った本のほうが他の本より優れていると思うからです。
現状を変えようと思うなら、まず言葉の壁を乗り越えましょう。国際的な賞に投票する人は、ふつう英語しか読みません。つまり、優れた日本のSFがあったとしても、英語に翻訳されなければ、いつまでたっても投票者に読んでもらえないのです。つぎに、投票者が皆、その年に出た本をすべて読んでいるとは思えません。ここでまたマーケティングの話になります。賞を取ってほしい本があったら、もっとその存在を広め、皆に知ってもらいましょう。
Q-5.
たしかに、ぼくたちはアメリカのポップ・カルチャーの多大な影響を受けています。村上春樹もアメリカの小説やジャズの影響無しにはいまのような小説は書けませんでした。あなたの場合も同じでしょうか? そうした影響をまったく受けずに執筆することを想像できますか?
A-5.
ぼくは自分のよく知る2つの文化から確実に影響を受けています。小説を書くさいには、短篇でも長篇でも、双方の国で同時に通用するものを目指しています。優れた小説でありながら、おもしろいと同時に社会性をいっさい感じさせないなどという作品をはたして書けるものなのでしょうか。ちょっと難しいですよね。それでもなお自分としては――ひとりよがりな願望ではありますが――時代にも場所にも左右されない小説を書きたいと思っています。どの国の誰が読もうと、今日読んでも、100年後、200年後に読んでも、変わらずに楽しんでもらえる作品が書けたら最高だと思います。
Q-6.
最近では多くの若い作家や編集者が英語で仕事をし、アメリカのマーケットに向けて書いています。そんな仕事のしかたは邪道だと思いますか? それとも、影響の大きさを思えば当然のことだと思いますか?
A-6.
影響どうこうは関係なく、要は読者がいるかどうかでしょう。ぼくは17歳のころ、サイエンス・フィクションの作家になろうと思いました。そのとき、英語とヘブライ語のどちらで書こうか悩み、結局、英語を選びました。イスラエルにSFの読者がいないのに対し、英語圏には世界各国の読者がわんさといたからです。まちがいなく、ぼくは質問文で触れられた人達の仲間です。
インターネットが発達した今日では、世界中のだれもが、世界中の作家の作品にアクセスすることができます。そのような時代に“国際的な言語(ほぼすべての国で通用する言葉)”で書くことを選ぶのは、ごく自然なことのように思えます。
Q-7.
もし英語で書くことになった場合、それは英米の読者に向けた仕事ですか、それとも世界の読者に向けたものになりますか?
A-7.
執筆するときは皆に向けて書いています。これまで、ほとんどの作品が他の言語に訳されてきました(いまのところ、ヘブライ語とギリシア語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語です)。ですから、いつも頭のどこかで、これからも翻訳は出るだろうし、出てくれたらいいなと思っています。ぼくのストーリーや登場人物に、どこの国の人でなければ分からない要素なんていっさいありません。
何年かまえ、World SF Blogに、アメリカ人に向けて書くことと“外国人”に向けて書くことの違いを書きました。双方の読者が期待することには、ある共通点が見られます(期待をする理由は異なりますが)。例として、ヒーロー役を取り上げてみましょう。アメリカ人は、自分たちのヒーローがアメリカ人であることを好みます。一方、非アメリカ人はというと、彼らも、アメリカ製のSF小説や映画の影響で、自分たちのヒーローがアメリカ人であることを好む傾向にあります。もし、ヒーローがアメリカ人でない場合、アメリカの読者も、その他の国の読者も、なぜ、アメリカ人でないのか、きちんと納得できる理由を求めます。
この記事では、ほかにも自身の視点からいくつかの指摘をしました。その後、アメリカのSF作家と“諸外国の”SF作家を比較した記事で補足をしています。両者の主な違いは、自分の作品をどれだけ幅広い読者に届けることができるかだと思います。
Q-8.
地元の場で活躍している作家や作品で、世界の読者に心から推薦できるものがありますか? それは英米にはないタイプのものだからですか? それとも、英米にもぴったりで、ともに楽しめるものをたくさんもっているからですか? 独自性と親和性とどちらのほうがだいじだとお考えですか?
A-8.
国内に肩を並べる作家や作品が見られない人のことを優れた作家とは呼びません。優れた作家とは、世界中のどこにも肩を並べる作家がいない人、唯一無二で特別な存在のことを言うのです。そのような作家としてラヴィ・ティドハーを推薦させてください。彼は、サイエンス・フィクションの約束事や、ぼくたちが、かくあるべしと考えているものを巧みに利用し、詩を作ってみせるのです。ぜひ読んでみてください。
Q-9.
ジャンルに関係なく、日本の小説を読んでおもしろかったものはありますか? どういった部分がおもしろかったのでしょう?
A-9.
ぼくは、物語形式の日本の芸術を3つの領域でしか知りません。1つめは古典芸能です。ぼくはもともと演劇出身ですから。2つめは漫画です。お気に入りの作者は、手塚治虫(なかでも『鉄腕アトム』)と、宮崎駿(『風の谷のナウシカ』。彼の作る映画も大好きです)、漆原友紀(『蟲師』)です。あとは、映画と、テレビアニメを少し。残念ですが、ここ何年か、日本の文学を書店で見かけたことはほとんどありません。読んだ作品に関しても、印象に残るものはありませんでした。なにかお薦めの作品を教えてもらえたらすごく嬉しいです。ぼくが大事に思っているのは、ストーリーテリングの才能と、独自性、真実に触れる力です。
Q-10.
外国文学をあなたの地元の読者に、またあなたの地元の作品を外国の読者に広めるために、あなたはどんなことをしておいででしょうか?
A-10.
自分の作品や他の人の作品を宣伝することはほとんどありません。もっぱら執筆活動に励んでいます。
(訳:岩倉りさ)
ガイ・ハッソン(Guy Hasson)はアメリカ生まれのイスラエルの映画監督、SF作家。戯曲や脚本はヘブライ語で書くが、小説は英語で書いている。これまでに短い長篇2冊とYA長篇1冊、短篇集1冊を発表している。